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ホジソン作『闇の中からの声』

  • 執筆者の写真: DBPM
    DBPM
  • 2020年8月6日
  • 読了時間: 15分

著作権が切れてしまった名作科学(SF)小説を講座で翻訳!あの東宝映画『マタンゴ』をインスパイアしたホジソンの名作『闇の中からの声』を完全翻訳!


<作者紹介>ウィリアム・H・ホジソン(1877-1918)

英国の作家。海洋冒険小説や怪奇小説を発表。第一次世界大戦にて40歳にて戦死。












『闇の中からの声』


星のない暗い夜だった。

 私たちの船は北太平洋上に停泊していた。正確な位置についてはなんとも言えない。というのも、ここ数週間、霧が立ち込めており位置を測定するのが非常に困難だったからだ。

 風はなくデッキにいるのは私だけだった。私以外の三人の乗組員は前部の船倉ですでに寝ていたし、この船のオーナーであり、私の雇い主でもあるウィルは後部の船室に引き篭っていた。

 そのとき、闇夜の中から突然声が聞こえてきた。

「おーい、そこの帆船!」

 太平洋のど真ん中で闇夜に突然呼びかけられれば戸惑うのは当然だ。私はしばらく言葉を返せなかった。

 すると私たちの船のはるか彼方の闇の中から、しわがれた声が再び聞こえてきた。

「おーい、そこの帆船!」

「どうした?なにか用か!」私は闇に向かって叫んだ。

「こ、こわがらないでください!私はただの……老人です!」

「だったら、こっちに来ればいいじゃないか!」私は少しぶっきら棒に言った。もしかすると私は自分が怖がっていることを相手に悟られたくなかったのかもしれない。

「行けないのです……あなたに迷惑はかけられません」そう言うと、声は聞こえなくなった。

「迷惑?どういう意味だ?いったいどこにいるんだ?」

 答えを待っていたが返事はなかった。不安にかられた私はランプを取りにデッキを歩き始めた。ランプを持ってきて闇夜の海に向かって光を当てると、軽い悲鳴が聞こえてオールで水をかく音が聞こえてきた。なにも見えなかったが、光を向けた瞬間、漆黒の海原に私は確かに何かを見た気がした。

「おい!いったいなんの真似だ!」私は闇夜に向かって呼びかけたが、何者かがボートを遠ざけようとしている気配だけが感じられた。

デッキの上を歩く私の足音に気づいたようで、ウィルが船室からデッキに出てきた。

「いったい何事だいジョージ」

「ウィル!こっちに来てくれませんか」

「なにごとだい……」ウィルがデッキを横切ってやってきた。

 私はウィルにことの経緯を説明した。

「おーい、そこのボート!」ウィルが闇夜に向かって話しかけた。

 闇の彼方からかすかにオールの音が聞こえた。ウィルが再び「そこのボート!」と呼びかけた。

「明かりを消してください!明かりはダメなんです!」闇夜の中から声が聞こえた。

「そんな要求受け入れられるか」と私がつぶやくと、ウィルがそれを制して相手の言うとおりにするように私を諭した。私は仕方なくデッキの影にランプを隠してきた。

「こっちに来たらどうだ?」ウィルが闇に向かって語りかけた。

 するとオールを漕ぐ音がしたが、こちらの船まであと数メートルというところでボートは再び止まってしまったようだった。

「こっちの船の横まで来てくれ!なにも恐れることなんかないじゃないか」ウィルが言った。

「明かりをこちらに向けないと約束してくれますか?」

「いったいなんなんだ!」私は怒鳴ってしまった。「光に当たるのが怖いのか?」

「なぜなら……」

「なぜなら……なんだ?」

 そのとき、ウィルが私の肩に手を置いて「いいから爺さん、俺が相手するから黙っていてくれないか?」と言った。私が黙るとウィルは再び闇に語りかけた。

「いいかい、自分がどれだけ変なことをこちらに要求しているのかわかっているのかい?こんな夜中に太平洋のど真ん中で話しかけてきて……。そっちが何か企んでない、ってどうして俺たちにわかるんだい?もしかしたら君のほかにも何人もいて、俺たちの船を君たちが狙っている、って可能性だってあるだろう?」

 すると、ボートが再び遠ざかる音がした。そして、今度は絶望的な口調で語りかけてきた。

「す、すみません……迷惑をかけるつもりではなかったのです。ただ、腹が減って仕方がなかったんです……私だけじゃなくて、彼女も……」

「ちょ、ちょっと待て!別に追い払っているわけじゃないんだ。明かりが嫌なら隠しておくから戻って来い!食料が必要なら渡すぞ!」と闇に向かって言うとウィルは私に向き直り「まあ、おかしなことだが、危険はないだろう……」とつぶやいた。

「大丈夫だと思います。おそらくこの辺りで難破した船に乗っていた生存者か何かでしょう。漂流している間に頭がおかしくなったんじゃないでしょうか」

「よし、じゃあランプは隠しておこう」ウィルがそう言ったとき、再びオールの音がしてボートがこちらに近づいてくるのがわかった。今度はさっきよりかなり近くまで来たようだが、こちらからは見えない距離を保って再び止まってしまった。

「もっと近くまで来たらどうだい?」ウィルが言った。「ランプはもう片付けたよ」

「いや、できないのです……それに食料を恵んでもらっても、お礼もできませんし」

「そんなことはどうでもいい。欲しいだけ食料を持って行ってもいいんだぞ」

「なんと親切な!あなたに神のご加護のあらんことを……」

「女性もいるのか?彼女は無事なのか?」

「彼女は島に残してきました」

「島?」

「島の名前はわかりませんが……」

「救出のために船を島に向かわせようか?」

「ダメです!絶対にいけません!」突然、声が言った。そしてしばらく沈黙が続いたあと男の声は続けた。「どうしても食料が欲しくて来ただけです。彼女が苦しんでいるのを見ていられない……それだけです」

「わかった」ウィルが言った。「少し待っていてくれ、すぐになにか持ってくる」

 しばらくしてウィルはたくさんの食料を抱えてやってきた。

「もう少し近くまで来てくれないか?せめてこっちの船の横に来てくれ」

「い、いや……できないのです」

 私はその声に、男のどうすることもできない焦燥感を感じ取った。最初、私はボートの男は気がおかしくなっているのだと思っていた。しかし、今は違った。男はウィルの持っている食料が喉から手が出るほどほしいのだが、なにか、とんでもない事情があって近づいてこれないのだ、と直感した。

「ウィル、もういいじゃありませんか。箱に食料を入れてボートの方に流してあげましょう」

 私たちは食料を箱に詰め、海原に落とすと棒を使って箱を沖の方に押しやった。

すると闇の中から歓喜の声が聞こえ、男の声は感謝の言葉を繰り返しながら闇の向こうに遠ざかっていった。

「変な出来事だったが、これで終わりだな」ウィルが言った。

「待ってください。おそらく男はまた戻ってくると思います。まずはとにかく食料を確保したかっただけだと思います」

「そうだな。連れの女性も腹が相当減っていたんだろう。腹が膨れたら戻ってくるかもしれないな」ウィルが答えた。

 それから数時間が経過した。私は寝ないで待っていた、ウィルも一緒に寝ないで待っていた。

 三時間以上が経過したとき、静かな海の彼方から再びオールを漕ぐ音が聞こえた。

「来たぞ!」ウィルが興奮気味に言った。

「おーい!」聞き覚えのある男の声が闇から響いた。

「君か?」ウィルが聞いた。

「そうです。お礼も満足に言わずに去ってしまってすみませんでした」

「連れの女性は大丈夫かい?」

「おかげ様で……とても感謝していました」しばらく男は黙ったあと、少し迷うような口調で続けた。「彼女と……話したのですが……。今回のあなた方のご親切は……なにやら神のご意思と言いますか……。なにか大きな意味があるのではないか、と思ったわけです。私たちは自分たちに降りかかったとんでもない災難については誰にも言わずにいようと思っていました。しかし、今夜あなたがたが私の前に現れて、私たちに最後の施しを与えてくれた……これは神が私たちの体験した出来事をあなた方に伝えるように告げているのではないか、と考えて……それでこうして戻ってきたわけです」

「どんな体験をしたんだい?」ウィルがやさしく聞いた。

「私たちはアルバトロス号の乗客でした」

 アルバトロス号は六ヶ月前、ニューキャッスルを出港したが、その後行方がわからなくなっている船だった。

 男は続けた。「アルバトロス号は出港からしばらくして嵐に襲われました。マストが折れてしまうほどの深刻な状態になりました。さらに嵐が過ぎ去ってみると、船底からの水漏れもすさまじく、船を棄てて逃げるしかない状態でした。乗組員はそのことに気づき、乗客の私と私の婚約者の二人をアルバトロス号に残したままこっそりと自分たちだけ救命ボートで脱出してしまいました。

 私たちが置き去りにされたことに気づいてデッキに上がると、救命ボートはすでに地平線の彼方に消えようとしていました。

 私たちは諦めずに船に残された木々を使って急ごしらえの筏を作りました。小さな筏だったので食料もあまり積み込めず、私たち二人以外には、水とビスケットを少々乗せるのがやっとでした。アルバトロス号は沈没寸前でしたので、私たちは急いで筏に乗り込み漕ぎ出しました。

 筏はどうやらうまく潮流に乗ったらしく、漕がなくても進んでいくようになりました。三時間ほどすると沈んでいくアルバトロス号のマストもすっかり見えなくなりました。その代わり、霧が立ち込めてきました。しかし、潮流は静かに私たちを運んで行きました。

 四日間、私たちはこの不思議な霧の中を進みました。

 五日目の朝、私たちは小さな島の湾の中に流されていました。相変わらず深い霧に覆われていましたが、驚いたことに、目の前に大きな帆船が停泊しているのが見えました。私たちは「救われた」と思い神に感謝しました。しかしそれは大きな間違いだったのです。

 私たちは大声で船に向かって呼びかけましたが返事はありませんでした。筏を船に近づけてみると、船のデッキから一本のロープが伸びていたので、私はそれを使って船によじ登ろうとしました。しかし、これが容易なことではありませんでした。というのも船体からロープにいたるまで、ヌルヌルとした灰色のキノコでびっちりと覆われていたからです。

 なんとかデッキに上がってみると、そこは例のキノコで全てが覆われていました。中には人間の背丈ほどもあるキノコがありましたが、その時はあまり気になりませんでした。私は船の乗組員を探すことで頭がいっぱいだったのです。ようやく船室の入り口を見つけて開けてみると中から強い腐敗臭がしました。これで乗組員はもういないのだな、とわかりました。

 私は登ってきたロープのある所に戻り、下の筏で待っている婚約者を見ました。彼女は私を見上げて誰か乗組員がいたかを尋ねてきましたから、この船は無人であることを伝えて梯子を持ってくるから待っているように言いました。運良くデッキの反対側で縄梯子を探し当てたので、筏に向かって下ろしました。彼女はすぐにデッキに登ってきました。

 二人で船室や船倉をくまなく探しましたが、乗組員の気配はありません。ただあるのはキノコばかりでした。

 船には誰もいないことがはっきりしたので、私たちはキノコを掃除してここでしばらく休むことにしました。私たちは船室を二つ、きれいに掃除して寝泊まりできるようにしました。しかも掃除の途中、船倉の中に大量の保存食が入った木箱を見つけることまでできました。その上、飲用水の備蓄が大量に残されているのも発見し、私たちは心から神に感謝しました。

 それから数日間、私たちは目の前の島に行くことなく、船の中で過ごしました。

 船室は快適でしたが、キノコだけはやっかいでした。どんなに掃除してキノコを取り去っても、一日たつと元の大きさに育っているのです。掃除するのがイヤになりましたが、それ以上に不気味でした。

 最初のうちは、それでも諦めずに掃除を続けて、船倉の奥で見つけた石灰などを撒いてみたりしました。しかし、一週間もすると完全に元通りにキノコがそこら中に生えているのです。

 七日目の朝、私の婚約者はベッドの枕に灰色のキノコが不気味に生えているのを発見して飛び起きました。私はちょうど、朝食の準備をしていたのですが、彼女は悲鳴をあげながらやってきて私にキノコの生えた枕を見せて「耐えられない!」と言って泣きました。

 私たちは船を出て、目の前の島に移り住むことを決意しました。

 筏はまだ船の横にありましたが、私たちは船のボートを使って島を目指しました。しかし、島が近づいてくると、恐ろしいことに島全体が灰色のキノコで覆われているのが見えてきました。風に吹かれてユラユラと揺れるヌラヌラしたキノコの気味の悪さは並大抵ではありませんでした。

 島はどこもキノコで覆われていて、上陸できる場所はないように思えました。しかし、一箇所だけ、浜の中に白い砂に覆われた砂浜があり、そこにはキノコが生えていませんでした。私たちはそこに上陸しました。降り立ってみるとそれは砂のようではありましたが、決して砂ではない「何か」でした。それが何かは今でもわかりません。

しかし、どうやらこの「白い砂」の上だけにはキノコは生息できないようでした。ようやくキノコの生えない所を見つけた私たちは喜びました。船から食料などをその白い砂の上に運び込み、マストで作ったテントで暮らしました。それから四週間ほどはなにごともなく平穏に過ごすことができました。

しかし「その」徴候はまず彼女の右手の親指に現れました。

親指の先には小さな「灰色」の斑点が現れたのです。私は恐怖にかられて水と石灰で一生懸命彼女の手を洗って斑点を洗い流しました。しかし、翌日には彼女の右手の親指に再び斑点が現れていたのです。しばらくの間、私は毎日、必死になって彼女の手を洗い続けました。ある日、彼女の手を必死に洗ってあげていると彼女が「ねえ、あなた、頬っぺたのそれは……?」と不安そうな声で言いました。私が頬に手を当てると……モミアゲのちょうど下あたりに「それ」があったのです。

「とにかく、君の指をきれいにしちゃおう」努めて冷静を保っていいましたが、私の心は動揺していました。

 私の頬を洗い流してから、彼女とじっくり話し合いました。島から脱出することも考えましたが、私たちはすでにキノコに感染していることを考えると、たとえ救出されても助からないかもしれない、他の人たちに感染させてしまうかもしれない……。思い悩んだ末、私たちは島に残ることを決意しました。

一ヶ月、二ヶ月と経ちました。私たちは懸命になって体に生えてくるキノコと戦いました。時に停泊している船に生活物資を物色しに行きましたが、船はすでにキノコに覆われており、デッキには私の背丈と変わらないくらい大きなものもありました。

島に残る決心をした私たちは食料の節約に努めました。そのときは船で発見した食料の在庫の量からずいぶんと長い間、暮らしていける、と計算していました。

長い間……私はあなた方に自分のことを「老人だ」と言いましたが、実はもっと若いのです。しかし……しかし……。

そのことは、置いておきましょう。とにかく、食料は十分にあるはずでした。しかし、それから一週間後に船倉に入った時、私は食料のすべてに例のキノコがびっちりと生えているのを発見したのです。わずかな缶詰を残してすべてキノコに侵されてしまったのです。

それ以後は湾の外にまでボートで漕ぎ出して魚釣りをしてみたりしました。しかし、ほとんど魚は釣れず、私たちの空腹を満足させてくれるものではありませんでした。このままではキノコに侵される前に餓死するのではないか、と思い始めました。

そして、四ヶ月ほど過ぎ去ったある朝……私は恐ろしいものを見たのです。

その朝、私は船倉にわずかでもいいからキノコにやられていない食料がないかと探しに行きました。なんとかきれいなビスケットなどを見つけ白い砂浜に戻って来ました。

そこには私の婚約者が私に背を向けて座っていました。

彼女が小刻みに揺れているのを見て「どうしたんだい?」と声をかけました。すると彼女はビクッとして私を振り返しました。その時、私は見たんです。彼女がキノコを、あの灰色のキノコを食べていたんです!

私はなにも言うことができずに彼女を見ながら立っていました。

彼女は泣き崩れて、初めてキノコを口にしたのは前日のことで、突如、襲ってきた「キノコを食べたい」という衝動を、どうしても抑えられなかった、というのです。そして最後に彼女は恐ろしい言葉を口にしました。「おいしかった」と。

私は彼女に、どんなにお腹が空いても二度とキノコを口にしないように愉しました。

その夜、私はどうしても寝付けませんでした。彼女がキノコを口にしている姿がどうしても頭の中から離れなかったのです。私は白い砂浜を離れて森の中に行きました。島はキノコに覆われていましたが、砂浜から一筋だけ、白い砂でできた細い道がありました。以前にもこの道を歩いてみたことはあったのですが、その夜は今までになくキノコの森の奥深くまで行ってしまいました。

突然、誰かに呼び止められた気がしました。振り返ると左の肩のそばに巨大な灰色のキノコがありました。よく見ると、その巨大なキノコは生きているかのように小刻みに揺れていました。私は、この巨大キノコが、人間の形に見えて仕方なくなってきました。

そのとき、なにかがメリメリと裂ける音がしました。

下を見ると、なんとキノコの胴体部分が避けて二本の枝が腕のように私に伸びてくるではありませんか。さらにこの巨大キノコの頭の部分が私の方に向かって傾いて来ました。私はどうしていいのかわからずにその場に立ちすくみました。そのとき、キノコの腕が私の顔をすっとなでました。、私は悲鳴をあげて数歩後ずさりしました。

しかし……キノコが触れた私の唇には甘い、おいしい味が残っていました。

そのとき、私は本能的な欲望に衝き動かされました。私は辺りに生えているキノコを無我夢中で口にしました。なんとも言えない満足感を感じたその瞬間、私はキノコを口にしていた婚約者の姿を思い出し、悲鳴を上げながら砂浜に戻りました。

砂浜には、すべてを見透かした目で私を見つめる彼女が待っていました。

私は自分の弱さを恥じ、彼女に許しを乞いました。そして二人で金輪際、あのキノコを口にしない、と誓いました。

しかし、私は森の奥で私が見た、あの巨大なキノコについては伝えませんでした。彼女に余計な恐怖を与えたくなかったのです。なぜなら……。

なぜなら、私には、はっきりわかっていたからです。あの巨大キノコは、あの無人船の乗組員の成れの果ての姿なんだと!

それから、私たちはあの忌まわしいキノコを口にせずに頑張って来ました。しかし、私たちの血の中にまで染み込んでしまったキノコを食べたいという欲望は日に日に強くなるばかりでした。その上、私たちの体は確実にキノコに侵されていったのです。

どんどん、どんどん体が灰色のキノコに覆われていきました。しかし、もっと恐ろしいことに、そのことが気にならなくなったのです。人間としての「心」までが段々と失われていったのです。もはや、かつて人間であったことなど気にならなくなったのです!

日に日に、空腹感はひどくなるばかりでした。一週間前、最後のビスケットを食べました。あとは水だけで飢えをしのいできました。そして、もう一度、魚を釣りにボートで漕ぎ出して……あなたたちに出会ったというわけです」

そう話すとオールが水の中に入る音がした。そしてかすれた声で「ありがとうございました。さようなら……」という声が聞こえた。

「さようなら……」私とウィルも声を合わせて言った。いろいろな思いがこみ上げてきて、それ以上はなんと言っていいのかわからなかった。

そのとき、辺りが明るくなってきた。夜明けが近づいていた。

海の彼方から太陽の光が霧の中へ差し込んできた。

そこに私は見たのだ。

小さく遠ざかって行くボートの二本のオールの間に灰色のキノコが前後に揺れている姿を……。

キノコの頭が前に大きく動き、オールが海面を大きく掻くとボートは霧の中へと消えていった。

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