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<読み物>人類の進化について


アメリカでは進化論を学校で教えることに抵抗を示す人が多いそうだ。

原理主義とも言うのだろうか。聖書に記載されている言葉を一字一句、文字どおりに信じているので、人間は神が自らの姿にならって創造したとする「創造論」を信じており、それを学校でも教えるべきだ、と主張しているそうだ。

それがいいことなのか、悪いことなのかはここでは論じないが、創造論を主張するアメリカの人たちは進化論を否定する根拠として類人猿と人類では染色体の本数が異なるということを挙げているのだそうだ。

たしかに人間の染色体の本数は23対=46本であるのに対し、類人猿は24対=48本の染色体を持っている。

類人猿と人間の間で子供を作る事ができるか、ということが話題になることがあるが、染色体の本数が違うので不可能、というのが答えだ。

さて、創造論を信じる人々は動物から染色体が突然一本少なくなったら動物は生きていけなくなるので人類が類人猿から「進化」したということはあり得ない、と主張しているのだそうだ。つまり、神は類人猿をもともと48本の染色体の動物として創造し、人間を46本の染色体を持つ動物として創造した、というわけだ。

これは明らかに間違った主張だ。

類人猿と人間の染色体の本数はの違いは、実は進化論が真実であることを語る最も強力な証拠のひとつなのだ。

類人猿より人間のほうが染色体が少ない理由。これは簡単だ。「染色体が失われた」のではない「類人猿の二つの染色体が一つに融合した」からなのだ。人間の染色体と類人猿の染色体を比べてみると、人間の第2染色体は類人猿の第2染色体よりずっと長い。ここに失われた染色体が存在するのだ。

では、なぜこの染色体の融合が人類がの進化の証拠と言えるのだろうか。

そのためには類人猿と人類の分岐点となった500万年前に遡って考えなければならない。

まだ、人類が類人猿から分岐する前、人類と類人猿の共通の祖先はアフリカに住んでいた。当時、アフリカの大地は深い緑に覆われた自然豊かな森林であったと考えられている。そこでわれわれの祖先は豊かな自然に囲まれて、さらに外敵から身を守るために樹上生活をしていた。

しかし500万年前、その自然豊かな森の大地で火山活動が起こり、真ん中に山脈が形成されて2つに分割されてしまった。このとき、新たに形成された山脈の西側の大地では肥沃な森林が保たれた。しかし、東側の大地では乾燥化がすすみ、森林に覆われた大地は失われてしまった。これにより木がほとんど無くなってしまったので、山脈の東側に取り残された類人猿たちは生き残りのために樹上生活を止めることを余儀なくされ、大地を二足歩行で歩くこととなった。「二足歩行」は頚部の発達を促し、さらには脳の発達に繋がった。こうして、山脈の東側に取り残された類人猿たちは人類の進化の道を歩き始めたのだ。一方、山脈の西側にいた類人猿たちは豊かな森林での樹上生活を止める要因はなにひとつ存在しなかったので、東側の類人猿たちとは異なった「類人猿としての進化」の経路をたどっていったのだった。

この話と染色体の本数は一見無関係なように思える。しかし、これが人類と類人猿の分岐点を促す上で大きな役割を果たしたのだ。

山脈の東側が乾燥したということは、環境が過酷になったことを示している。つまり、このとき多くの類人猿たちが死に、個体数はかなり少なくなったに違いない。このことはつまり、生き残った東側の類人猿たちの間では近親交配の確率が高くなったことを示している。近親同士の交配が進んだ場合のリスクには遺伝子の突然変異の発生が挙げられる。現代において近親結婚が禁止されているのはこの理由による。多くの突然変異は遺伝病などの病気を起こすので、リスクが高い。しかし、その一方で環境の変化に適応できる遺伝子変異が偶然に生まれる可能性も高くなる。例えば、二足歩行をしやすい遺伝子変異などが起これば生存に有利になる。もし、環境にとって有利な変異が生じた場合には、その遺伝子変異をもった個体は生き残るので、有利な遺伝子が子孫に伝わる可能性が高まり、さらに種としての生存の可能性が高まることになる。

このときに生じた突然変異のひとつに染色体の融合が挙げられる。これは一見、種としての生存に無関係なように見える。

 しかし、これは非常にに有利な変異だったのだ。これにより、山脈の西側に住んでいた類人猿たちと染色体の本数が異なることになったので、交配ができなくなったのだ。

せっかく乾燥した大地で生存のために有利な突然変異を蓄積し、二足歩行をし、脳が発達したとしても、これらの有利な遺伝子をもたない(つまり、山脈の西側の類人猿たち)個体と交配したらせっかくの有利なな変異が失われてしまう。

われわれの祖先は山脈の東側で、人類の進化に不可欠な遺伝子変異を蓄積し、さらには有利な遺伝子変異を持つ個体同士でしか交配できない状態(つまり、染色体数を減らした)になり、加速度的に人類への進化の道を進んで行ったのだ。

環境が過酷になる、ということは多くの犠牲があったということだ。

人類の遺伝子をみると、もうひとつ他の類人猿とは大きく異なる特徴がある。それは遺伝子の固体差が極めて少なく均一である、ということだ。これを説明するためにはBottle neck効果という説が提唱されている。Bottle neck効果とは瓶の細い首の部分を通して瓶の中身を取り出した場合、取り出された中身は本来の瓶の中身から特殊なものが取り出される確率が高くなることを指している。

 つまり、本当は多様性をもっていた人類の遺伝子が細い瓶の首を通り抜ける際にごく一部の遺伝子だけが残されたことを示している。「細い瓶の首を通り抜けた」ということは、「人類の祖先の個体数が一度、非常に少なくなった」ことを示している。一説によれば、人類の祖先はその個体数が一時、数百(大きく見積もっても数千)程度にまで落ちたと考えられるそうだ。つまり、絶滅寸前までいったということだ(この絶滅寸前にいたった原因については諸説あるようだ)。

しかし、人類は生き残った。

アフリカの大地で起きた火山活動によって過酷な環境に晒された人類の祖先。

しかし、それから約150万年後、人類は確実に進化の道をを辿っていた。

アフリカのタンザニアにはその証拠が今も残っている。そこには少なくとも二人の人類の先祖、アウストラロピテクス・アファレンシスが、ぬかるんだ大地の上を歩いた際の足跡が化石となって残されてる。それは、この人類の祖線が、直立し大地をたくましく二足歩行で歩いたことを示している。

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